というイベントに出ることになったので、起業について考えてみました。
大人ガールズて・・・。訳をひっくり返すとアダルトな少女たち?
タイトルについてのご意見は主催者様まで笑
当日スイーツを食べながらタイトル談義をしたい方は
下記リンクからぜひお申込みください!
起業したい!と思ったことがない
そういえば、わたしは「うおお起業をしたいぞ!」と思ったことが、どうやらありません。 好きなことをして、それが人のためになって、
それで世界が平和になったらいいなあ(飛躍!)くらいのイメージだったので、
それが「自分で会社をやる」こととは別に思っていませんでした。 司会者「起業についてどう思いますか?」 あっこりん「別に・・・。」 ヤバイ、これでは炎上してしまう! 炎上したくないので、
まずは起業するまでの経緯を振り返り、
起業について考察してみようと思います。
20代。紆余曲折、仕事を遍歴する。
デザインの仕事をはじめるまでは、いろんな職につきました。
イノシシのように突っ走っては、ぶつかり。
突っ走っては、ぶつかり。
してました。
家具デザイナーになりたかったけど就職試験受けたら落ちた
美大では、木を使った作品(ロバ)を作っていました。木を使ったモノづくりを続けたいなと思い、家具メーカーの就職試験を受けました。
1次・2次面接・実技試験通って、最終面接まで行ったんだけど、不採用。
不採用になった理由が
「女子寮がないから」
っていわれて、何じゃそれってコケた。
さあさあ、
潰しの効かないと言われる美大生が、就職氷河期の大海原へ放り出されました。
波乱の幕開けです。
世紀末の就職氷河期の中かろうじて人材派遣会社の事務員になる
なんとか潜り込んだのは、社員6人くらいの小さな人材派遣会社。50歳くらいの社長と18歳の同僚が付き合ってて、
始終イチャコラするのでずっとゾワゾワしていました。
(よく考えれば犯罪なんでは!?)
それと40歳くらいの独身男性社員に
「絶対何もしないから一緒に住まない?」って言われ続け、
スケバン刑事Ⅱ〜少女鉄仮面伝説〜の南野陽子さながらに
鉄仮面のおももちで過ごしていました。
はじめての就職先で、変人だらけと呼ばれる芸大よりも
外の世界のほうがずっと謎に満ちていることを知る。
とはいえ、そこで一通りオフィスソフトの使い方を教えてもらい、
その後のキャリアで大変役に立ったので感謝。
広告代理店に転職。営業部に配属される
愛欲がひしめく職場を抜け出し、「広告」というなにやら楽しそうな響きがする広告代理店へ転職。
制作の仕事がしたかったけど、配属されたのは営業部。
朝から晩まで汗をかきかき走り回って、夕方から鬼の入稿をし、
朝まで飲むという壮絶な体育会系現場。
忙しすぎてポンコツ人間になる。
ミスを連発するのでアチャコと呼ばれていた(本名あきこ)。
その割にリクルートから最優秀新人賞もらった。
入社してすぐ、求人も何もわからないのに、
飛び込み営業するのはきつかったな〜(遠い目)
その後の人生で営業の人に優しくなりました。
飛び込み営業の人には敬意をもって優しく、ぬるりと断ってあげてください。
(決してその場で名刺を破って踏みつけないでください)
大学のPCルームの留守番係
廃人になりかけたので広告代理店を退職。派遣会社に登録して、大学のPCルームお留守番係に。
たまに学生が「せんせ〜フリーズしました〜」って言ってくるので
「はーい! control+⌘+deleteボチ!」ってする以外は、
ネットサーフィンして過ごすという極楽の仕事。
前職の壮絶さが嘘のよう。
そこでアッコリンは見た!
PCルーム担当の教授が、100台くらいあるPCの電源ボタンを
順番にブチブチ切ったりつけたりして回っているところを。
聞けば、大学側がPCを買い替えてくれないので、
古いMacを摩耗させて壊し、新しいMacを導入したいと企んでいるとか。
「わっるー!」とも言えないようなじわっとしたやり口…。
完全犯罪を狙っているのか?
私に見られたうえに自白(げろ)ってますけど???
ちなみにその大学、ググってみたら、閉校になってた。
PCの摩耗による買い替えが打撃になったのかも・・・。
職業訓練校でCADを習う
失業保険をもらいながら&職業訓練できるシステム最高すぎる。
その点においては、国グッジョブ。
社会人になったあとの学びの楽しさたるや。
そこでCAD1級を取得しました。
建築コンサルト会社のCADオペレーターをする
CADを使って住宅やインテリアの仕事がしたかったのだけど、派遣されたのは土木の部署で、毎日港湾の設計図を書く。
でも船を数えたりする泊まり込みの出張があったりして仕事は結構面白かった。
今でもタンカーとか自動車運搬船とか木材船とか見ると
「うーむ何メートル級かな?」と目測してしまう。
こうやって振り返ってみると、転がり続けながら、必死に働いていた20代。
転がり続ける、俺の生き様ってやつですね。(by尾崎豊)
時には無様なかっこで支えてるオット君については
紙面の関係上ここではかけませんが
お察しの通り、シェリーくらいの人格者です。
30代。出産育児期。モノづくりが主体になってきた。
さて、出産するタイミングで建築コンサルタント会社をやめて、育児期のスタートです。ゼロ歳児の子育ては大きな喜びとともに、ほんっとに大変なことの連続!
授乳も夜泣きも本当に大変だけど、
一番きつかったのは「孤独」との戦い。
社会から断絶されたような気持ちになりました。
長男が生まれて3ヶ月位は、夕日を見ては涙するっていう日々でした。 でも、ちょっとずつ時間ができてくるもので。
その空いた時間で、20代様々な仕事をしながらも
副業?としてチマチマ続けてきた布雑貨の制作を再開しました。
布雑貨を作って、イベントに出したり、
雑貨屋さんに置いてもらったりを通して、
人とのつながり、社会とのつながりができてきました。
「イエデロバ」…布雑貨などのモノづくり。
2001年ごろからスタートした布雑貨などモノづくりの活動。バッグやポーチなど、空いた時間でちょこちょこ作りホームページで販売をしたり、
雑貨屋さんに置いてもらったり、イベントで販売したりしていました。
モノづくりはお仕事が変わっても、住む場所が変わっても、子育てしながらも、
ずっと続けてきました。
ホームページなどのデザインを頼まれはじめる
布小物たちを自作したホームページで展示販売したりブログを書いていたら、ホームページを作って欲しいと頼まれるようになったり、
イベントのフライヤーを頼まれたり、名刺を頼まれるようになりました。
子どもが保育園に行くようになってからは、
アルバイトさせてもらっていた近所のお洋服屋さんの
オンラインショップを立ち上げたり、
リノベーション会社のデザインを手伝い始めたり。
そうこうするうちに、布小物を作る時間より、
Webや紙ものを作っている時間が増えていき
デザインが主な仕事になっていきました。
救世主(ロバ2号)現る。ロバ企画室スタート。
そうやって少しづつデザインを受けるようになってきた頃、むちゃくちゃ忙しいのに収入がちっとも増えませんでした。
なぜなら仕事が終わらないから!もう、忙しくててんてこマインド!
メールのお返事するのに1日を費やしたり、
見積書を作るのに1日費やしたりして、
頼まれたデザインのほうが進められない。
確定申告のことなんか考えるだけでフリーズしてしまう。
(チュートリアル徳井さん…。やろうやろうと思っているけどできないんですよね。お気持ちとてもわかります。) 暇なし金無し、っていう状態がしばらくつづいていて、
ただただ疲弊していたころ、
史織ちゃん(従姉妹・博士号)から、
「お仕事しようと思うんだけど、なんかないー?」と連絡が入った。
願ってもない助け。渡りに船。地獄に仏。
もちろん「それじゃあ手伝って!!!」ってことになり、
二人でのお仕事がスタート。
2号がホームページの作成、管理、経理、税理、文章作成など、
数字と書類関係のことなどやってくれるようになって、
どんどん仕事が進むようになりました。
開業届を出せたのも、納税できたのも、史織ちゃんのおかげです。
(私だけだったらそんな書類提出書けなくて、今頃お縄・・・)
あとラッキーなことに、
イトコなのに史織ちゃんはシュッとしてるので、
畑から掘り出してきたばっかりなの?ていう私の泥臭さを
うまいことカムフラージュしてくれ、
デザイン事務所のイメージ戦略として大変助かります。
(それから余談ですが世界中の占いにとても詳しいです。
ただ本人の占いはあまり当たりません。
沖縄に行く前にやってくれた、しおりちゃんのカード占いでは
飛行機が落ちそうな不吉なカードが3回も出ましたが
なにごともなく平和に帰ってこれました。)
満を持して!? 2014年「ロバ企画室」がスタートしました。
救世主(ロバ3号)現る。今に至る。
デザインに集中できるようになって、仕事はぐんぐん進んだけど、仕事が増えたことでまた忙しくなってきました。
第二期、忙しくててんてこマインド期!
わたしも史織も、自分にしかできない仕事、得意な仕事しかしたくない。
(勝手か!)
それから、私も2号も「変わったもの」が好きなので、
ついトレンドを遠巻きに避けて通ってしまうところがあり、
「これは多くの人にウケるのだろうか」という視点に
どうも弱点があるような気がしていました。
そんな矢先。
ママ友のかずみちゃんがロバのお手伝いに来てくれることがあり、
なんでも嫌な顔ひとつせず、「いいですよ〜」ってやってくれて、
なにこの安心感。なんだこの、スムーズな事の運びは、ってなりました。
これが噂に名高い「気配り」という神業なのですね!!!
気配りを重要文化財に!
しかも、「流行りものと普通が大好き」を公言するトレンドの申し子。
かずみちゃんが好きなもの、それは世の8割が好きなもの。
かずみちゃんがロバ3号になり「ロバ企画室」は
毛利元就3本の矢伝説
みたいにとっても安定した職場になり今に至ります。
今では毎日ロバ食堂(ロバの昼ごはん)係をしてくれていて、
ロバたちに大きな喜びをもたらし
健康寿命を伸ばすことに貢献してくれています。
起業は、偶然の産物。だけど最高。
世界にIFはないというけれど。
もし、イフ、
新卒で家具メーカーに就職できていたら、
今頃「ミナ・ペルホネン」の皆川さんと
コラボ家具をつくっていたかもしれない。(誇大妄想)
広告代理店の制作部に配属されていたら
バリキャリしてたかもしれないし。(ない)
史織ちゃんが電話してこなかったら、
闇デザイナー営業(ただの申告漏れ)でお縄になっていたかもしれない。(十二分にありうる)
(そもそも史織ちゃんがいとこじゃなかったら、
月3万円しか稼いでないときに「手伝って」なんて言えない。。。
あ、今はもうちょっと稼いでます!田舎のおじちゃん、安心して。)
しかし・・・ヤバイ!
起業とは、偶然の産物ってことになって、
それ以上語ることがなくなってしまう。
大きなビジョンを叶えるために上り詰めた〜!みたいな
ドリームズカムトゥルー!みたいなアメリカンドリーム!みたいな
プリティ・ウーマン!みたいな大塩平八郎の乱!みたいな話が見当たらない!
ビジョンがあるとすれば 世界平和くらいだ。 偶然といえば偶然だけど、
コロコロ転がり続けて
フルイにかけられたり、飛び出したり、七転八倒して
たどり着いた先にあった起業は
とっても心地いい場所でした。 ■勤務時間を自分たちで決められる
■お休みもとりやすい
■どこで働いてもいい
■職場を居心地よくカスタマイズできる
■ものすごく面白い人にも会える
■倫理観がものすごく合わない人と一緒にいないでもいい
■過剰なサービス精神が役に立つ。というかないとデザインなんて大変な仕事やっていられない。
■感謝さえしてもらえる 今、もしぽっくり逝っても、ああ楽しい人生だったっていえる。
最後に
「自分が好き」で、「ずっと続けていること」で、「人から求められること」をやっていたら
ぴったりフィットする起業を見つけることができました。
そしてとにかく自分たちが楽しむことが
事業を続ける秘訣なのかもしれません。
まだ走り出したばかりなので
また壁にぶつかっては何かを学んでいくんだろうなと思います。
ということで、
2020年も本気で楽しくやりますので
どうぞよろしくおねがいします!
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